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非プロ・スポーツ選手だけど、「引退」を考えてみる!ところで、あなたの仕事に「引退」はありますか?

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ところで、あなたの仕事に「引退」はありますか?

早速ですが、「あなたの仕事に引退はありますか?

先日まで、サッカー・ワールドカップ日本代表の「ベスト8」をかけた試合が終わり、多くのベテラン選手が、「代表引退」みたいなことをほのめかしていました。これを見聞きして、このワールドカップを目標にしてきて、ベテラン選手は一区切りつけたんだなぁと思いました。そんな中、「あれ、自分の仕事の『引退』はあるだろうか?」という疑問が湧いてきたので、ちょっと、考察したいと思います。

そこで「引退の種類」を考えてみる。

引退と言っても色々、あることに気が付きました。そこでざっくりですが、引退の種類を考えみたいと思います。

  • 1.無理やり強制型「引退
  • 2.目標型「引退」
  • 3.消耗型「引退」
  • 4.なんとなく引退していた

まだ、あるかもしれませんが、思いつくまま、書いてみました。それぞれの引退について考えてみたいと思います。そして最後に、非アスリート系引退のこれから定義や重要性についても考えてみたいと思います。

多くの人が結局、「無理やり型強制『引退』」

いきなり結論的になりましたが、恐らく、過去生きてきた人を含めて結局、多くの人は自分の意思とは別に「無理やり引退」させられるんだと思います。
その最たる例が、「定年退職」だと思います。

今年自分は40歳になりましたが、本当に小さい時、確か定年は「55歳」だったように思います。それから、中学から高校あたりで、60歳に伸び、今では大抵、65歳ごろではないでしょうか。今後は70歳まで伸びてくようです。死んだ父親のことを少し考えると、定年前後はかなり酒の量も増え(元々酒乱がさらに増したので、大変でした。。)、精神的に荒れていたのを記憶します。

確かに、今まで、毎月決まった金額(給料)が支払われていたのに、ある日を境に、もう会社に来なくてよいし、給料もあげません、、となると、否応なしに、残りの人生どうしたらよいのか?と右往左往するのは仕方がないように思います。自分も給料をもらっていた身分から、支払う側になった時、やはりとてつもない「不安」に襲われたのを覚えています。

また、プロ野球選手やサッカー選手もほとんどは突然の戦力外通告だそうです。。そう「無理やり引退」させられているのが実態のように思いました。

因みに、プロサッカー選手の平均引退年齢は、「25歳」だそうです。。。

「目標型」引退は、一番贅沢なのかもしれない。。

先述した日本代表のベテラン・サッカー選手の代表引退や、安室奈美恵氏のツアーでの引退など、この目標型引退は、ほんの一握りの人にしか許されない特別な引退のように思いました。この引退が特別なのは、「やめた後、どうやって食ってくの?」みたいなことが、保証されていないからです。

人は、他人の成功よりも、不幸を数倍好むので、「あの有名プロスポーツ選手の今は?」みたいなテレビ番組をよく見かけます。若い時の栄光と、年をとった現在をよく対比させて、視聴者の関心を寄せていますが、多くのスポーツ選手が引退後、生活レベルが下がる方が圧倒的に多いように見受けます。

この「目標型引退」ができるのは、セカンドキャリアや、それまで培った資産や、そこから生まれるキャッシュフローが安定しているという現実が非常に重要のように思いました。

「消耗型」引退は今後、現代人の多くが直面するように思う。

現代人の多くは、上記2つの「引退」パターンよりも、この「消耗型」引退に直面する人が増えてくるように思います。
その背景にあるのが、終身雇用がなくなり、「人生100年時代」や、「Life Shift」のように、「労働に終わりがない」というのが最大の理由となります。

労働や仕事に区切りをつけられないとなると、「一体いつまで、同じことやるんだろう」みたいな焦燥感が襲ってくるように思います。そうなるとたとえ、天職だと思っていた仕事でも、「飽き」や「消耗」が出てきて、その精神的・肉体的な葛藤が大きくなってくるように思います。

実際、怪我が重なったスポーツ選手なんかは、リハビリに消耗して、引退する選手も少なくありません。僕自身も「消耗型引退」に現在、直面しているように思います。一体、いくらお金があれば、老後を安心して暮らせるのか、誰もわからないため、みんな一生懸命、働いているものの、どこか、「短距離感覚でマラソン」を走っているような息苦しさが拭えません。

「なんとなく引退していた」も、現代人には多そう。。

自分は引退するつもりは、ないけど、気がついたら引退してました、みたいなケースも今後、多くなりそうです。
考えられるのは、老いにより現場パフォーマンスの劣化、時代の変化により技術や知識の陳腐化、委託労働や派遣労働形態で仕事が発生しない、などなどです。

要するに、外部環境から必要とされなくなったというのがこの引退の最大の要因のように思います。

労働に終わりのない時代に「非労働 ≠ 引退」を考える重要性。

「目標型引退」が特別なケースであって、多くの人が、自分の意思とは違って、引退させられるケースが実際はほとんどだと思います。
引退の計画をしないでいると、いずれか上の3つ(「無理やり強制型引退」「消耗型引退」「なんとなく引退していた」)に当てはまり、そうなると、引退後、何をするか?引退後、どうやって飯を食うか?というのが最大の問題となるのは明白です。

そこで、引退の定義を見直し、「引退=非労働」というのではなく、どこかで引退することを前提にステージを変える、もしくは、ダウンサイジングする。もしくは、全く別の仕事に挑戦する、みたいな意識付けが重要のように思いました。それをしたからと言って、引退後、「飯を食えるのか?」という保証はないですが、やらなければ確実に何も残りません。。。

どうしても人間は、今まで培ってきたノウハウ、人脈があるため、それを捨てるのは勿体無いと葛藤すしがちですが、思い切って、割り切って、違う場所・働き方・モノの見方・人脈も変えてみるという捉えた方で、事前に計画を立てながらも結局最後は、目をつぶって「飛び込む」ような感じで、「エイヤー」でやるのも良いかのしれません。。(僕はいっつもこんな感じ。。)

因みに、自分は、38歳の時に、49歳で引退しようと決めました。
この引退は、「非労働」ではなく、人生80歳とした時の「後半人生」として区切りをつける意味で、とりあえず設定しました。もうあと9年しか残っていませんが、今年も、拠点を国内に2つ、海外にも1つ増やすような感じで、自分の働き方、生き方を少しずつ、変えていこうと模索しています。

あんまり、まとまりがありませんが、現代人は非労働ではない「引退」という節目を自分自身で設定する生き方が求められるように思いました。

雑感でした。。

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