79歳で他界した母親は、死ぬ直前まで「将来」が心配だった。
2022年の3月に母親が他界しました。半年以上経った今になって、幼少期の記憶が走馬灯のように蘇り、後悔と寂しさによく襲われることがあります。
そこで最近、よく思い出すのが、母親が亡くなる前の5年間、同居していたのですが、母親はいつも、「将来のこと」を心配していました。
今となれば、あと人生は数年で幕を下ろすのに、まだ「将来」があると思って、ひたすら将来を心配していました。
「今」を生きていない自分。
その前にも、色々と気づくことがありました。
サウナに入った後、外気浴で瞑想をするのですが、どうも瞑想がうまくいきません。
あれや、これやと、思い巡らし、外気浴の気持ち良いそよ風とは別に、頭はどこか違う所にいるようでした。そこで、その頭の中を凝視してみると、ほんの数日先ことや、漠然とした将来を思い巡らしていました。
その時に初めて、「今」に意識がない自分に気が付きました。
その根底にあるのが「今を我慢したら、もっと将来はよくなる」というものでした。しかし現在、44歳の私に、あとどれぐらい将来が残っているかわからないのに、それでも、綺羅びやかな将来を夢見て、今を軽視して生きている自分が鮮明に浮かび上がりました。
「今を我慢したら」というのは、20代のときの価値観がまだアップデートされていないまま、20年が過ぎ、まだ自分にはたくさん将来が残っていると思い込んでいました。
人生は、約「4000週間」しかない。。
そんなさなか、この本(『限りある時間の使い方』)を手に取りました。
そうそう、人生はわずか4000週間しかありません。
人間は、死に向かっていく存在であり、実は人間こそが「ソンビ」なのかもしれません。
「今を生きる」と書けば、刹那的にも捉えられてしまうのですが、この本に書かかれているのは、後先考えず今を楽しもうということではなく、むしろ、限られた時間に「タスク管理」や「タスクマネージメント」をしても無意味であり、選択することの重要性を説いています。
ミニマリストと通じる考え方
筆者は、タスク管理、タスクマネージメントを極限まで極めたものの、それらを実施すればするほど、忙しさが倍速するということが書かれていました。要するに、タスク管理で効率化され余剰時間が生まれると、そこに別のタスクが入り込むからです。これは本当に、よくわかります。
私も、40歳を機にモノを極限まで減らすことをしました。
ものが多い中で、整理整頓することは、ただモノを移動しただけだで、整理されている状態ではないことに気づきました。整理で大切なことは、ぎっしり棚に詰め込むことではなく、棚に余白をつくることだと思い、そのためには、モノを減らすことだと気が付きました。
これと同じように、タスクを管理するには、タスクの効率ではなく、タスクを詰め込まないこと、当たり前のようですが、多くの現代人は、頼まれ仕事、予期しない雑用などに振り回されているように思います。
しかし、「今を生きる」には、そのタスクや雑用さえも、実は「今」であり、その今を効率化したり、軽視したりするということは結局、今を生きていないということに繋がります。
要するに、無意味に思えるようなタスクや、雑用さえも、本当にすべきかの判断が必要だと筆者は訴えます。そしてそれらのタスクは、どうでも良いようなことが多く、本当にやらないといけないことはいつも後回しにされているとも書かれています。
本当にやならいといけないことはいつも「後回し」
「簡単にできる」ということが、タスクの優先順位ではないでしょうか。しかし、時間をかけてしっかり考えないといけないこと、じっくり時間をかけること、急ではないが重要なことは、いつも後回しにされています。私もその中の一人で、今となれば、仕事ばかりにかまけたりせず、もっと母親の話を聞いてあげれたらよかったと正直、後悔しています。母親との時間は残されていないかったのに、母親との「今」を軽視していました。同じ過ちをしないように、今をしっかり生きたいと思います。
たわいもない話でしたが、多くの方にこの本や有益だと思います!
是非、一度お読みくださーい!
こういう人にオススメ
- 40代になり、人生の棚卸しを考え始めた方。
- 変化が必要だと感じているものの、どうしたら良いか迷走中の方。
書評/論評
『限りある時間の使い方』を読んで、「今」を生きていない自分に気がついた。。
投稿日:
79歳で他界した母親は、死ぬ直前まで「将来」が心配だった。
2022年の3月に母親が他界しました。半年以上経った今になって、幼少期の記憶が走馬灯のように蘇り、後悔と寂しさによく襲われることがあります。
そこで最近、よく思い出すのが、母親が亡くなる前の5年間、同居していたのですが、母親はいつも、「将来のこと」を心配していました。
今となれば、あと人生は数年で幕を下ろすのに、まだ「将来」があると思って、ひたすら将来を心配していました。
「今」を生きていない自分。
その前にも、色々と気づくことがありました。
サウナに入った後、外気浴で瞑想をするのですが、どうも瞑想がうまくいきません。
あれや、これやと、思い巡らし、外気浴の気持ち良いそよ風とは別に、頭はどこか違う所にいるようでした。そこで、その頭の中を凝視してみると、ほんの数日先ことや、漠然とした将来を思い巡らしていました。
その時に初めて、「今」に意識がない自分に気が付きました。
その根底にあるのが「今を我慢したら、もっと将来はよくなる」というものでした。しかし現在、44歳の私に、あとどれぐらい将来が残っているかわからないのに、それでも、綺羅びやかな将来を夢見て、今を軽視して生きている自分が鮮明に浮かび上がりました。
「今を我慢したら」というのは、20代のときの価値観がまだアップデートされていないまま、20年が過ぎ、まだ自分にはたくさん将来が残っていると思い込んでいました。
人生は、約「4000週間」しかない。。
そんなさなか、この本(『限りある時間の使い方』)を手に取りました。
そうそう、人生はわずか4000週間しかありません。
人間は、死に向かっていく存在であり、実は人間こそが「ソンビ」なのかもしれません。
「今を生きる」と書けば、刹那的にも捉えられてしまうのですが、この本に書かかれているのは、後先考えず今を楽しもうということではなく、むしろ、限られた時間に「タスク管理」や「タスクマネージメント」をしても無意味であり、選択することの重要性を説いています。
ミニマリストと通じる考え方
筆者は、タスク管理、タスクマネージメントを極限まで極めたものの、それらを実施すればするほど、忙しさが倍速するということが書かれていました。要するに、タスク管理で効率化され余剰時間が生まれると、そこに別のタスクが入り込むからです。これは本当に、よくわかります。
私も、40歳を機にモノを極限まで減らすことをしました。
ものが多い中で、整理整頓することは、ただモノを移動しただけだで、整理されている状態ではないことに気づきました。整理で大切なことは、ぎっしり棚に詰め込むことではなく、棚に余白をつくることだと思い、そのためには、モノを減らすことだと気が付きました。
これと同じように、タスクを管理するには、タスクの効率ではなく、タスクを詰め込まないこと、当たり前のようですが、多くの現代人は、頼まれ仕事、予期しない雑用などに振り回されているように思います。
しかし、「今を生きる」には、そのタスクや雑用さえも、実は「今」であり、その今を効率化したり、軽視したりするということは結局、今を生きていないということに繋がります。
要するに、無意味に思えるようなタスクや、雑用さえも、本当にすべきかの判断が必要だと筆者は訴えます。そしてそれらのタスクは、どうでも良いようなことが多く、本当にやらないといけないことはいつも後回しにされているとも書かれています。
本当にやならいといけないことはいつも「後回し」
「簡単にできる」ということが、タスクの優先順位ではないでしょうか。しかし、時間をかけてしっかり考えないといけないこと、じっくり時間をかけること、急ではないが重要なことは、いつも後回しにされています。私もその中の一人で、今となれば、仕事ばかりにかまけたりせず、もっと母親の話を聞いてあげれたらよかったと正直、後悔しています。母親との時間は残されていないかったのに、母親との「今」を軽視していました。同じ過ちをしないように、今をしっかり生きたいと思います。
たわいもない話でしたが、多くの方にこの本や有益だと思います!
是非、一度お読みくださーい!
こういう人にオススメ
-書評/論評